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いとうせいこう 「富山治夫的運動」
(『現代語感』より)
・・・悲嘆にはくれず、むしろ対象たる世界の流れに身を置きながら事態の深刻さを皮一枚でかわしてみせるとするこの態度は、おそらく富山治夫の写真家としての本質から来ているのだろうと私は思う。彼が撮り続けた写真を見れば、それは自然とよくわかる。どんな例でも同じことだが、例えば「交通戦争」という言葉に整形外科で首を伸ばす男たちの写真を取り合わせ、歩道橋を利用して移動する神官たちを撮る。交通事故や自動車そのものさえフレームに入れず、どの写真もユーモラスに仕上げていてしかもほろ苦い。
本人いわく“僕のやってきたことは戯評ですよ、戯評”。しかし通常、戯評家は世界の流れに身を置くことがない。遠巻きに世界を見、斜に構えて批評とする。富山治夫がそうでないことは、あえて「チカチカした」デジタル世界の側に突き進んだことでも明らかだ。先の例で言うならば、彼は「交通戦争」について考え抜く。自分の問題としてひそかに対象へと没入する。そして最後の最後、事態をユーモアとして解消してみせるのである。あえてデジタル世界の中にいてデジタル速度を超えようと望むかのように、富山さんはいつでも時代の中、世界のただ中にいようとし、同時にそれを突き放してみせるのだ。
いとうせいこう
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写真生活44年。「現代語感」は、朝日ジャーナル、カメラ毎日、月刊現代など、十数誌に38年間も長期連載しました。日本の針路を決めた激動の1960年代から2004年現在まで、昭和・平成の移り変わる世相を、写真戯評の影像化を試みました。1978年、写真の殿堂ともいえるニューヨーク・I.C.P。1999年、北京・中国美術館で写真展の開催は大好評でした。そしてこの度、2003年度、秋の紫綬褒章を受けました。ひとえに皆さまに支えられた賜物と、深く感謝しております。
受章記念写真集(『現代語感』)の制作のために、改めて写真を整理してみると、膨大なネガの量に驚き、選ぶのにひと苦労いたしました。各雑誌で見開きで使用した原稿を軸に再録いたしました。
思えば、1952年3月に東京で開催されたエドワード・スタイケンの「われら人間家族」写真展に大きな感銘を受けました。写真家を志したのは、その頃からです。いつも、あの「人間家族」のイメージを追いかけていたのかも知れません。
時の贈り物としての「現代語感」は、写す行為と視点の楽しさを味あわせてくれる至福のライフワークになりました。
2004年7月
富山治夫
SiteContents:

佐渡島の思い出/たばかぎ/近藤福雄「過去からのメッセージ」(2003年、品川・キャノンサロンSで開催された写真展「富山治夫の佐渡島」より)
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写真集

富山治夫
撮影
A4版変形四色 224頁 定価¥3,900(税込)
発行 曹洞宗宗務庁 tel:03-3454-5418
「真実」
雨が降る。風が吹く。それが禅である。
春が過ぎて夏となり、秋を経て冬となる。それが禅である。
赤ん坊が育ち、若者が成長し、次第に老人となって、死ぬ。
それが禅である。
何の不思議もない大自然の運行。
そのハタラキに心が開き、目覚め、随順して生きるのが禅である。
禅とは坐禅、禅定のことだが、禅定によって見通した宇宙の真実 をも言う。
仏道といってもいいし、仏法といってもいい。
仏とまで言い切ることもある。
曹洞宗総合研究センター所長 奈良康明
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